2009年11月26日
山下清の作品
東京府東京市浅草区田中町(現・東京都台東区日本堤)に生まれる。
3歳の頃に重い消化不良になり、一命は取りとめたものの、後遺症で軽い言語障害、知的障害に進行。 小学生の頃いじ
めに遭った際、ナイフで級友を傷つけたため、親からも心配されて千葉県東葛飾郡八幡町大字八幡(現:千葉県市川市八
幡四丁目)の知的障害児施設「八幡学園」へ収容される。この学園での生活で「ちぎり紙細工」に遭遇。これに没頭し
ていく中で磨かれた才能は、精神病理学者の式場隆三郎たちからも愛された。そして1939年1月には、大阪の朝日記念会
館ホールで展覧会が開催され、清の作品は多くの人々から賛嘆を浴びた。
八幡学園での在籍期間は長かったものの、そこでの生活に飽きたのか、脱走。放浪の旅へと出て行った(1940年から
1954年まで)。しかも、脱走の翌々年、受けることになっていた徴兵検査を受けたくなかったため、更に放浪を続けた
。21歳の時、食堂で手伝いをしていたところにやって来た八幡学園の職員によって、無理やり徴兵検査を受けさせられ
たが、兵役免除となる。この記録は『放浪日記』(1956年)にまとめられた。なお、この時のいでたちとして、テレビ
ドラマなどの影響もあり、リュックを背負う姿はあまりにも有名であるが、実際にリュックを使っていた期間は2年程度
と短く、当初はみかん箱を抱えての旅であり、その後風呂敷、リュックと変化していく。
驚異的な映像記憶力の持ち主で、「花火」「桜島」など行く先々の風景を、多くの貼絵に残している。とりわけ、花火
が好きだった清は、花火大会開催を聞きつけると全国に足を運び、その時の感動した情景をそのまま作品に仕上げてい
る。花火を手掛けた作品としては、『長岡の花火』が著名である。
しかし、旅先ではほとんど絵を描くことがなく、八幡学園や実家に帰ってから記憶を基に描くというスタイルだった。
このエピソードから、清はサヴァン症候群であった可能性が高いといわれている。
戦後は「日本のゴッホ」、「裸の大将」とよばれた。1956年の東京大丸の「山下清展」をはじめ、全国巡回展が約130回
開かれ、観客は500万人をこえた。1961年6月、式場隆三郎らとともに約40日間のヨーロッパ旅行に出発。各地の名所を
絵に残した。
晩年には『東海道五十三次』の制作を志して、東京から京都までのスケッチ旅行に出掛けた。およそ5年の歳月をかけて
55枚の作品を遺している。ただし、高血圧による眼底出血に見舞われ、その完成は危ぶまれていた。
1971年7月12日、脳出血のため49歳の若さで死去。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
「日本のゴッホ」として大変有名になった画家です。
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